Canon ~ blue see & blue sky ~
潮の香りが漂う---。
静かな波の音は、まるで眠りを誘う子守唄のようだ---。
Canon ~ blue see & blue sky ~
私はカサディスという場所の、浜辺を歩いていた。
カサディスは漁業を営む集落…村で、浜辺の近くに住宅地や宿屋といった施設がある。
娯楽施設などはないが、気候は温暖で住み心地が良く、観光としても遜色はないはずだ。
ちなみに、私は独りであるいているのではない…私の最も大切な人といっしょに歩いていた。
「…覚者様」
私は『覚者様』と呼んだ男の腰を抱き寄せると、口付けをした。
頬に、首筋に……。
それは敬愛とも、情愛とも取れる感情を込める時、『人』はそうするものだ…という知識を得たが故の、行動だった。
「わっ!
何だよ、ホロウ…くすぐったいだろ」
覚者…男はそう言うと、たしなめただけで笑っていた。
怒られるかと思っていたのが、どうやら機嫌が良さそうだ。
…久しぶりに、彼の故郷に戻ってきた為かもしれない。
そう…ここ・カサディスは彼の故郷だ。
私と彼は日頃の長旅で疲れ果てた心身を癒す為、幾度目かのカサディスを訪れていた。
「それに…何度言ったら、お前はわかるんだ?
…二人だけの時は、『覚者様』じゃなくて『カーン』と呼べと言っただろ?」
「それは勿論知っていますよ。
…人でいう癖というものなのでしょうね。
しかし、大勢の前で『カーン』と呼ぶよりは良いでしょう『覚者様』?」
「ぐ………っ!!」
私はカーン---カーンは愛称で、正式にはカーネリアスという名だが---からの問いを論破すると、少し苦々しい表情をする我が主を見て微笑した。
彼…覚者・カーネリアスは私の主であり、私…ホロウは彼の従者である戦徒・ポーンである。
…主として、そして私の産みの親ともいうべきである創造者の覚者に、私はいつしか主従としての関係以上の感情を抱いていたのだ。
「ったく…お前も言うようになったな。
今のお前しか知らない奴が昔のお前に出会ったら、驚くと思うぞ。」
それを聞いて、ついくすりと笑ってしまった。
「それはそうかも知れませんね。
…それもまた、覚者様の影響のお陰ですが。」
「んっ!!」
耳たぶを軽く、甘く、噛む。
すると、流石に抵抗されてしまい、胸を強く押されて身体を引き離されてしまった。
…少し残念だという感情が、私の心の中を過る。
そして、やり過ぎてしまったか…という気持ちさえも。
背けたその背中に、謝罪するべきだと言葉を投げかけた。
「…すみません。その…」
「謝るなよ。それよりもな、ホロウ。
昔と言えば…お前、覚えてるか?」
いつもと変わらぬその声の調子に安堵しつつも 、掛けられた疑問に頭を巡らす。
…昔という言葉だけでは、何も思い当たらなかった。
「いいえ…何の事でしょう?」
「…まぁ、そうだよな。
俺も今さっき、思い出したんだからな。
ほら、昔…俺達が出逢ったばかりの頃だよ。
こうやって今と同じ服を来て、この海辺を歩いたりしただろう?」
「ああ…そういえば。」
鮮明な映像であるかのように、急速にその時の事が思い出される。
あの時の私は今より戦徒としての知識も、人に近い自分の感情や思考も持ち合わせてはおらず、自分は常に臆病者で弱い存在であると思っていた。
しかし、私が使命と思い、行動していたのは『覚者』であるカーネリアスの身を守る事…只それのみで。
…心技ともに未熟であった私は、戦闘において守るべき存在である覚者をかえって危険に巻き込む事があり…主に助けられる度に落ち込み、己に恥じ入る事もしばしばあった。
二人で浜辺を歩いたのは…そのような日々を過ごすとある日の事。
◇ ◆ ◇
「ほら、これ着ろ。」
「…これは…?」
久方ぶりに彼の故郷に戻り一夜を過ごした後、これからまたすぐ旅に出るのだろうと彼の自室で荷物の整理をしていると、私に向けて服が投げ寄越された。
それが今着ているものと同じ…カサディスの漁師が着るこの服だった。
目線を服を投げ寄越した本人---我が主・カーネリアス---に向けると、彼は布のシャツにカサディスボトムという出で立ちで、手に持っている服と同じような材質の服を着ていた。
「俺、昨日の晩考えてたんだ。
お前と出会ってからあちこちうろついてばっかで、翌々思い出すとお前とカサディスを歩き回ったことねぇな…って。」
「え?」
「だから、今日は俺の故郷であるここ、カサディスをお前に案内してやろうって言ってんだよ。
外ならお前の方が詳しいだろうけど、カサディスなら俺の方が詳しいからな!」
照れ笑いしながらも得意気に言った…そんな声音だったのを、覚えている。
「…では、本日の予定である、ベルダ森林地帯へは行かないという事ですか…?」
「あ? …ああ…今日は行かねぇ。
何だ、不満でもあるのか?」
「い、いえ…。
…で…ですが、覚者様」
「…何だよ?」
「…やはり、私は旅に出た方が良いと思うのです。
我らはまだ力量不足(Lvが低い)ですし、覚者様のドラゴンを倒し心臓を取り戻すという目的の為にも---」
「うるせぇ!黙れ!!」
食い下がり説得しようとする私に、主は一喝した。
この時の私の感情は---勿論、今だから言葉にして表せれるのだが---少なからず焦りがあった。
昔の私は戦う事でしか自分の存在を認めさせれない・戦徒として戦わない自分には価値がないと思っていたから…。
少しばかりの静寂が訪れた後、主ははぁ…と長いため息を吐いた。
「いいか、ホロウ。」
そう言うと、つかつかと私に歩み寄ったと思いきや、私のローブの胸倉を鷲掴みした。
あまりにも急な主の行動に動揺し、息が詰まった。
殴られる---。
主の気性の荒らさを解り始めていた私は思わず目を瞑り顔を背けたが、彼は殴るような事はせずこちらを向くように促した。
「お前はな、少しばかり頭が硬すぎるんだよ。
人間には『息抜き』っていうもんが必要なんだ。
俺は覚者になったと言えども、人間なんだ…ポーンであるお前とは違ってな。」
顔を近づけて正面から私を睨み据えながら、言葉を続ける。
「それに、お前…俺の従者だろ?
お前は俺に従うんじゃなかったのか?
違うのか?」
「い…いいえ。
私は進言をしたまでで、逆らうつもりはありません。
貴方の命に、従います。」
その言葉を聞いた主は、私の胸倉を掴んでいた手を緩め、離した。
「ふん…。
解ってんなら、ご託並べねぇで、さっさと着替えろ!
お前が着替えて出てくるまで、俺は外で待ってるからな」
そう言うと、乱暴に扉を開けて出ていった。
◇ ◆ ◇
私が服を着替えて外に出ると、主は扉の横で腕を組んで、壁にもたれかかっていた。
「意外と似合ってるじゃねぇか…ま、その方が俺としては有難いけどな。」
カサディス…漁師の服を着た私の姿を目に留めると、ニヤリと笑う。
そして、私達二人はカサディス中をくまなく歩き回った。
宿屋・雑貨屋・酒場・教会といった村の主要な施設だけでなく、彼の育ての親とも言うべきである村長アダロの家…それこそカサディスに住む全ての住人の家宅まで…。
そして、場所を訪れる度出会う人々に、主は私を…彼・カーネリアスのメインポーンである事を紹介した。
『ホロウ、よく聞いておけよ。
今日のお前への重要な【仕事】は、【カサディスの住民になりきる事】だ。
お前は俺と同じ、カサディスの住民になったつもりで人々に接し、対応しろ。
そして、村人の日頃の行いを観察するんだ…いいか、これは【命令】だからな』
私は紹介される度に主の言った事を思いだし、実行した。
勿論、主と同じような口調で話すことはしなかったが、丁寧に自己紹介をし、彼らの話す事を聞いた。
…そして、私は内心驚いたのだ。
人は我らポーンの民を時に蔑み、時には畏怖の念を抱き忌避する事が多いのだが、カサディスの人々はそうではなかった。
訝しげな視線を送る者はいても、明白に罵倒する者は一人もいなかった。
我が主の出生地の人々故に、私に気を使っているとも考えられたのだが…中には、私に『一杯やらんか?』と酒を勧めてきた者さえいたのだ。
それは流石に「他にも寄るところがあるから…また今度な!」と、主が丁重に断っていたが…。
私が驚いたのは、それだけではない。
カサディスの人々は、何かをするに声を掛け合い協力し合うが、それを強制しあう関係には見えなかった。
お互いがそれぞれの判断で、無償の関係を築く---。
ポーンと覚者…雇用する者とされる者という雇用関係しか知らなかった私には、それは大きな発見でもあり衝撃でもあった…。
「…どうだ、今日1日、カサディスを歩いた感想は?」
最後に主と私はすっかり日が落ちて、星空が見える浜辺を歩いた。
辺りはすっかり静まり返っていて、聞こえるのは波の音だけだ。
「…正直、驚きました。
カサディスの人々は私がポーンだと知っても尚、私に快く接してくれました。
そして、人々はお互いに相手を思いやって行動している…。」
それは人として、とても素晴らしい事なのだ…今の私ならば、解る事だが。
「ふーん…そうか、お前はそう思ったんだな。」
そう言うと、私の2・3歩手前を歩いていた主が立ち止まり、振り向いた。
それに釣られて、私の歩みも止まる。
お互いの視線が交錯し合った後、主が言葉を紡いだ。
「…ホロウ、俺はな。
俺とお前の関係においても、そうでありたいと思ってるんだよ。
俺は覚者で、お前はポーン…主と従者だがな…俺はそういう固っ苦しいの、嫌いなんだ。」
『カサディスの漁師の中じゃ、俺はまだ下っ端の方だしな…』と少し照れくさそうに付け加えた事を、私は忘れていない。
「お前も色々あるだろーけどよ…1人で突っ走ろうとすんじゃねぇ。
覚者だろうが、ポーンだろうが、辛い時には頼っていいんだ。
…その代わり、俺だってお前を頼る事もあるだろうしな。」
その時、私は学んだのだ…人と人が助け合うという事の大切さ…ポーンも人も1人では何も出来ないという事を。
そして、今だからこそ気づいた…私にカサディスを案内して歩き回った事こそが、主・カーネリアスの思いやりから来る行動であった事を---。
「…おっ。
ついつい話してたら、もうそろそろじゃねぇか。」
「? …何がですか?」
疑問に思い尋ねると、主はゆっくりとその場に腰を下ろし、胡座をかいた。
そして、顔を私の方に向ける。
「とりあえず、座れ。
座ったら、話してやる。」
不思議な心持ちであったが、主の横に腰を下ろし座った。
そして、浜辺に来る前に、主が言っていた事を思い出したのだ。
『お前に見せたいものがあるんだ…最後に海の方へ行こう』と。
「そう言えば…『見せたいものがある』と仰っていましたが、それは何なのですか?」
私がそう言うと、主は私の顔を見ながらニヤリと笑った…いたずら小僧がするような、どこか無邪気で憎めない笑みだ。
「まぁまぁ、そう急かすなよ。
とびっきりの…少なくとも、俺は大好きな…イイもんだ。」
そう言いながら、右腕を水平に上げ、人差し指を海…水平線の方へと向けた。
「あっちの水平線辺りを、じーっと見とけ。
…結構、あっという間だから、目を離さない方がいいぞ。」
私と主は待った…それが来る時を。
やがて、水平線から赤く眩しい光が、じわりじわりと見えてくる---。
「!!
あ、あれは…!」
太陽---それは、私が初めて見る日の出だった。
「俺はこの光景、凄く好きなんだ…。
俺が漁師をしていた頃は、よく船の上で日の出を見たもんさ…その度に、日の出の瞬間に見とれてたんだ。
…今は、海にはヒュージブルがいるから、漁には出れねぇけどよ。」
漁師は日の出前に起き、出航する。
夜が明ける前、早朝の魚は活性化してるものが多いため、新鮮で高く値がつきやすいのだ。
「…そういえば、お前が日の出見るの初めてだったな。
普段、戦闘中に日が昇ってるか、宿に泊まってから旅に出る事が多かったもんな…。」
主が話している間にも日は昇っていき、次第に大陽は水平線の半分…そして、完全に丸く燦々と光った。
その光景は何事にも代え難い、正しく絶景と呼ぶに相応しき光景であった。
「なぁ…ホロウ。」
水平線から顔を逸らし、私に問いかけて…
「俺の故郷は、良いところだろう?」
ニカッと笑った…今し方、昇った太陽にも負けないぐらいの、明るい笑顔だった。
「ええ…そうですね、本当に。」
私はその笑顔に釣られて、微笑を返した。
そして、私はその時強く誓ったのだ…。
使命だから、ポーンだから…なのではなく、心の底からこの人を守ろうと---。
貴方が故郷を…貴方の愛しい人々を守るのであれば、私は私の居場所である、貴方自身を守ろうと---。
◇ ◆ ◇
「…思い出しました。
あの日は覚者様とカサディス中を歩き回ったり、二人で初めて日の出を見たりしましたね。」
遠い昔の記憶から意識を戻し、私は覚者様と呼んだ男…カーネリアスに話しかけた。
あの日の日の出と違い、今はもう昼過ぎだ。
太陽は燦々と私達を照らし、水面はキラキラと輝いている。
「…ああ、そうだな。
…俺は、今だから…お前に言っておきたい事がある」
こちらを振り返ると、ニヤっと笑う…あの日と同じ、違わないイタズラ坊主な笑みで---。
あれから幾日・幾年月が経っているのにも関わらず、容姿がまるで変わらないのは…心臓を竜に抜き取られた覚者であるが故に。
「!? …っ!
覚者様、いきなり何て事をするんですか!」
笑ったかと思えば、主は私に飛びかかって来た。
勢いよくそのまま倒れ、私は生憎波打ち際にいたものだから…二人してずぶ濡れになってしまった。
「わははは!
…ホロウ、あのな。
正直に言うが、俺はあの時…お前が最初逆らった時、実は内心面食らってたんだぜ。」
「…え!?」
主のその言葉に、私の方が面食らった。
上半身を起こし、私の上におぶさった主の顔を見つめる。
「俺はお前の事を、あの時までは…大人しいし、臆病だし、何でもハイハイ言うと思ってたんだ。
そしたら、あん時に限ってお前は俺に逆らった。
…ひょっとして、コイツは俺が思っている以上に、骨がある奴なんじゃないかって見直したんだ。」
『まぁ、でもあん時のお前は、今よりちょっと周りを見えてなかったからな…。
結局脅して、俺の言う事聞かせちまった…すまん。』
と付け加え、頭を垂れた。
「…覚者様が謝る必要はないですよ。
貴方が言うとおり、確かにあの時の私は『覚者様は私が守ります』と言っておきながら…結局は自分の事しか考えていなかったのですから。」
私は右手を差し出し、主を顎に手を掛けて軽く持ち上げる。
…少しの驚きと悲しげな表情が入り混じった主の顔を見つめると、ゆっくりと自分の顔を近づけた。
唇と唇が、軽く触れ合う…。
自制が効かなくなる前に唇を話せば…先程とは打って変わって主の顔は火照っていた。
その変化の面白さに、つい楽しんでしまった私は、頬が緩んでしまう。
「それに…私はあの時…人と人との関係は、多種多様なのだと気づかされたのです。
あの時に気付いていなければ…私と覚者様は今でも主従という関係だけで、今のようにはなっていなかったのでしょうね…。」
それは、あくまで『もしも』という仮定に過ぎない。
そして、それが良いとも悪いとも言えない事も…。
だが、しかし…今の私が思うには、少し寂しくも感じる。
「そうだな…。
…まさか、俺も今お前と『こういう関係』になるとは、全然思ってなかったからな…。」
照れたような、そして少し拗ねたような声音で、主は呟いた。
「…じゃあ、もうそろそろ…帰るか。」
そう言うと、主は私から身体を引き剥がすかのように、立ち上がった。
衣類に包まれていない砂が付いた足を、手で払う。
「え?
先程こちらに着たばかりですよ?
…帰るとは、どちらへ?」
未だに波打ち際に座り込んでいた私は、背中をこちらに向けて歩きだそうとしている主に問いかけた。
カサディスは彼の故郷であり、ここはカサディスだ…他にどこへ帰るというのだろう?
「どちらへ…
って、決まってるだろ、俺の部屋にだよ。
服濡れて汚れちまったし、それに…」
首だけを私の方にに逸らし、私を見た。
「…続き、やらねぇの?」
「!!」
…それは、私にとって…とてつもない甘美な言葉に聞こえた。
再び歩き始めるその背中に、私は大声で伝えた。
「ま…待ってください!
い、いえ、私もそちらへ行きます!!」
私は急いで主の後を追う…いや、これからの時間は主ではなく『恋人』だ。
その場に残されたのは、青い海と青い空と静かな波の音。
太陽の日差しはまだまだ高く、海面をキラキラと輝かせる光はしばらく続くようであったーーー。
-Fin-